ガールズパワーのつくりかた
ああ神様、どうしてあなたは、大事なときほど上手にできないなんていうふざけた初期不良を人間に組み込んだのでしょうか。どうして、どうして――
頭にリボンが乗ってる誰かさんのせいでだいぶ騒々しかったこの夏も、いよいよ終わりに近い。それでもまだ陽射しはしつこく照りつけてきて、公園のブランコに腰をかけた私は、ただただ紫外線を浴びるだけの機械に成り果てている。日陰を求めて徘徊する気力はない。じっとしているのに際限なく噴き出し続ける汗を拭う気力もない。髪を切っておけばよかった。ふわふわとした自慢のこの髪も、夏の暑さの中では無駄に体感温度を高めるだけだ。
「もういやだ」
私は足元の地球にそうつぶやいた。返事がない。ただの土のようだ。
あの日、思いがけず結衣先輩とのデュエットが決まり、先輩が「がんばろうね、ちなつちゃん」と声をかけてくれたとき、私は心底うれしかったには違いないのだろうけど、どうしても事態を把握しきれなくて、いつものようにキャーキャーとはしゃいで結衣先輩大好きアピールすることはできず、間が抜けた表情で「えっ、あの……はい」と返答することしかできなかった。
時間が経つにつれ冷静さを取り戻し、絶対に最高の歌を結衣先輩と歌おうと決心し、今日まで本当にがんばってきた。
素人らしく歌唱の教本を読みまくったり、デモテープに合わせて何百回と歌ったり。お風呂で音楽が聴けるプレイヤーなんか買ってもらっちゃって、3時間もバスルームを占有してお姉ちゃんに怒られたときは、お姉ちゃんには悪いけど反省するより先に自分のがんばりっぷりに苦笑いしてしまったものだ。
ところが、いざ本番となると、頭が真っ白。出ない声。外れる音程。何度もミスする私のせいで現場の雰囲気は次第に悪くなり、コントロールルームに陣取るスタッフさんたちの表情が「どうしたものか」というものに変化するのをブースから見たとき、あまりのいたたまれなさについスタジオを飛び出してしまった。そしてあてもなく走り続けた結果この公園を見つけ、すっかり消耗してしまった私は水飲み場で水分を補給することさえ忘れ、「一番近くにあった」という理由でブランコに腰を下ろして、こうして呆然としているわけだ。
なんだか頭がクラクラしてきた。
「あかりちゃんとのときは上手にできたのに、どうして……」
涙が出てきたような気がするけど、もうそれが涙なのか汗なのかわからない。どっちにしても同じことだ。そうやって体の水分を失い続け、私はここで朽ちていくのだろう。実際それは大げさにしても、このまま熱中症で倒れるんだな、みんなには迷惑をかけるけど仕方ない、もうどうしようもない、そこまで考えたそのとき、ぼんやりとした視界の端に人の姿が映り込んだ。
結衣先輩。
幻覚まで見るようになってしまっては、おしまいだ。
「ちなつちゃん」
今度は幻聴。おしまいだ。本当におしまいだ。
幻覚の結衣先輩が心配そうな表情をしながらゆっくりと近づいてくる。
もうやめて。汗をダラダラとかいたこんな姿、たとえ幻覚の結衣先輩にだって見られたくない。そんなことを考えているうちに、もう手を伸ばせば届く距離にまで詰め寄られてしまった。
幻覚の結衣先輩はブランコの鎖を握りしめていた私の手をとり、「ちなつちゃん」と言葉を発する。よくできた幻覚だ。
だけど、汗にまみれたその手にふれた私が、この結衣先輩はおそらく幻覚なんかじゃない、本物の結衣先輩だと気づくのにそう時間はかからなかった。
汗。汗。汗。
微動だにせずひたすら日光を浴びていた私のそれ以上に、結衣先輩の体には汗が伝っていて、じっとりと肌に張りついた制服が妙に艶かしい。こんなときでも欲情ってできるのねとバカな思考が脳裏をかすめ、しかしそれと同時に脳内がクリアになっていく。
きっと、この人はつい数十秒前まで全速力で走っていた。きっと、どうしようもなくだめな私を見つけるために。申し訳なさの感情と嬉しさの感情が、バチバチと衝突しながらお腹の底から頭のてっぺんまで、体内を駆け上がっていくのがわかる。
「結衣先輩、あの」
まず謝ろうと思った。とにかく頭を下げて、ごめんなさいごめんなさいと。それなのに、それなのに結衣先輩は、
「いいんだよ、ちなつちゃん」
と、そっと微笑みながら余計な言葉を添えずに、一言だけ。
どうして……どうしてこの人は、私がいま一番ほしいものがわかるんだろう。完璧にど真ん中に入ってしまった。
「戻ろう、ちなつちゃん」
「……はい!」
結衣先輩に手を引かれるままに私は立ち上がり、のろのろと歩き出す。
少し先を歩く結衣先輩の肩越しに大きな太陽が見えた。
小さく「ありがとう」とつぶやいてみる。
『どういたしまして』と聞こえた気がした。
「ちなつちゃん、なにか言った?」
「なんでもありません! 早く戻りましょう! 今度は間違えませんから!」
神様、人間に最高の仕様をありがとう。ネガティブモード、バイバイだよ。
<おしまい>